3Dで観る~ヒューゴの不思議な発明

というわけで、『ヒューゴの不思議な発明』を見に行った。
物語の核となる人物・ジョルジュ・メリエス(1861-1938)は、パリで靴工場を営む裕福な家に生まれ、劇中で語られるように有名なマジシャンになり、その後、映画創世期にあって初の職業監督となった。映画史では欠くべからざる人物である。(といっても、映画を見ている最中は名前は聞いたことがあったが、そこまでは知らなかった。)メリエスは、「動く写真」に過ぎなかった映像に物語性をもたせ、撮影方法に工夫を凝らして、マジシャンならではの奇抜さでミラクルな驚きを人々に提供し500本以上の映画を創作した。その独創性で一世を風靡したが、逆にそれが徒となって世に飽きられて行く。
興行の失敗による破産もあり、第一次大戦後はすっかり忘れ去られた。晩年はモンマルトル駅の売店でキャンディやおもちゃを売って細々と生計を立てていたが、時代は彼の功績を讃え再び表舞台に登場することになる。脚光をあびたものの依然として生活が苦しかったメリエスは、映画界の計らいもあってやがて経済的な安定も得られるようになる。メリエスは、1913年以降映画を制作することはなかったが、彼を崇拝する若い世代たちの良きアドバイザーとなり生涯を終えた。
映画黎明期の立役者のひとり・メリエスの晩年を題材に、スコセッシ監督の映画への愛あふれる物語となっている。月の目にロケットが突き刺さっているという画は、一度は見たことがある有名なカット。


物語は、高台からパリを俯瞰し、鉄道のレールを走り抜けそのまま駅へすべりこむ。小さな壁の入り口から左右に大小のゼンマイが動く細長い通路を抜けて辿り着いた先は駅の時計盤の裏側。壁の内側から外の世界をのぞく少年ヒューゴの瞳に映るのは、おもちゃ屋の老店主の姿。そこまでいっきにカメラは駆け抜けて行く。
博物館に勤める父を火災事故で失ったヒューゴは、駅の時計係の叔父に引き取られて、駅の「壁の中」で暮らし始める。ほどなく叔父は出奔、ヒューゴは一人で時計係を務めていた。たったひとりのヒューゴの心の拠り所は父が博物館で見つけた機械人形のオートマトンを修理して動かすこと。修理は完成に向かっていたが、オートマトンを動かす最後のキィ「ハート型の鍵」がみつからない。

一方、駅には恐ろしいドーベルマンを連れ歩く鉄道公安官がいる。駅の治安を護るためと庇護者のいない孤児を孤児院へ送るのが彼の役目だ。ヒューゴも目をつけられていて、駅でちょくちょくパンを失敬するヒューゴにとっては油断ならない相手である。
ある日、いつものように駅の片隅で営まれているおもちゃ屋で、おもちゃを盗もうとするヒューゴ。が、店の老主人に見つかって、罰として父が遺した大切なノートを奪われてしまう。どうしてもノートを取り戻したいヒューゴは老人のあとをつけ家まで押しかけるが、無下なく追い返されてしまう。が、そこで老人夫婦と暮らす少女イザベラと友人になる。

読書好きで好奇心の強いイザベラは、さっそくヒューゴの身辺に興味をもちオートマトンをみせてもらう。イザベラが首から下げていたハート型の鍵に気付いたヒューゴは試しに鍵穴に差し込んでみると、オートマトンが動きだし、自動筆記を始め、ついに不思議な絵を描く。その絵は、かつてヒューゴがなき父と一緒に見た映画のワンシーンだった。そして、オートマトンが最後に記した「ジョルジュ・メリエス」の名前。
ジョルジュ・メリエスこそ、イザベラの養父でもありおもちゃ屋の店主でもあるあの老人だったのだ。ヒューゴとイザベラは、不思議な絵の謎を解くべく秘密めいた老人に迫る。
父が遺してくれたメッセージの意味を知りたいヒューゴ、悲しい過去を封印してしまった老人、孤独な人々が還るべき場所はどこに???

駅に集う登場人物のほとんどが、孤独な魂を抱えている。ヒューゴとイザベラの冒険譚と平行して、駅に集う人々のエピソードがいい。冷徹な鉄道公安員は、自身が孤児であり大戦で足を失っている。駅に時々響く奇妙な金属音は、実は彼の義足が発する音なのだが、最初はそうはわからない。どこかコミカルな印象を与えるのだが、その理由がわかった時に漂うペーソスがたまらない。鉄道公安員を演じたサシャ・バロン・コーエンの演技が光る。
孤児が心を閉ざした老人に再び生きる力を与え、対価として孤児が孤児でなくなる、という孤児物語の定番のかたちをとりながら、映画史に造形が深い監督の「映像=マジック」への愛情が至るところに振りまかれている。
最近、マジックの種明かしを見せる趣向の番組があるが、種明かしを見せられたからといって、決してマジックそのものが色あせることはない。その工夫や見せ方の発想に、逆に人間の素晴らしい知恵を見るようで、さらにうなってしまう。「映像=マジック」もまさしく然り、と。
あまり多くないセリフが効いている。人生の役割を見つけたヒューゴの、観客を誘うメリエスのセリフが物語をさらにキラキラをさせていたのでありました。
<追>
物語や映像は文句なしの素晴らしさでしたが、だからといって3Dがいいとは正直思えませんでした。映画創世記の映像を最新の3D映像で見せる、という試みはわかるけれど。。。
ピラミッドのようにこちらに向かって突き出してくる立体感は、パノラマ感がなくなって逆に窮屈に感じられました。
「ヒューゴ~」の映像は、見せたいと意図しているものを中心にもってきて特に強調して立体化しているようですが、200度ほどある人間の視野を強制的にカットされているような感覚を覚えました。何を感じて何を観るのかは、視界におさまるすべての映像の中から選んで行くという脳の心地よい機能のひとつだと思うので、それを妨げられるのはどうか、と。。。たとえ、2Dの映像でも脳のなかで立体的に組み立てながら見ているはず。

メガネ用の3Dフィルムをかけているので、目とメガネの間、メガネと3Dフィルムの間と微妙な隙間が影響しているのかもしれませんが、メガネが気になってちょっと集中しにくいのです。3Dメガネが不要になって初めて3D映画の完成といえるのかも、とおもいました。
「アバター」「タンタンの冒険」「ヒューゴの不思議な発見」を3Dで見ましたが、昔ディズニーランドで「キャプテンEO」見たときの驚きを超える映像には出会っていません。。。。。
2Dでもう一度見たいと思いました。


この記事へのコメント
映画最近は3D多いですね
あの時代キャプテンEO衝撃的でした♪
3Dメガネ目が疲れるのよねぇん。。
それに3Dって値段も高いですよね。レディスディとかじゃなくっちゃ見れませんって。
で、明日も安い日なので見に行きますぅ。明日は「おとなのけんか」です。