観劇~旅がはてしないbyひょっとこ乱舞@東京芸術劇場

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というわけで、久しぶりに演劇ツアーに参加する。



演劇ツアーとは、キアヌン氏の友人トラスト氏主催の演劇鑑賞会である。トラスト氏はしばらく遠いところで働いていたが、最近、やや東京よりに近づいたということで、ツアー再開の運びとなったのである。(注、もちろん両名とも純粋な日本人(笑))



さて、



「ひょっとこ乱舞」の「旅がはてしない」



初めて聞く劇団名。他の人よりは多く舞台を見ているとは思うのだが、なんとも不思議な劇団名。劇団名の由来は、どうもひょっとこのお面を付けての集団パフォーマンスをしていたこと、からついたらしい?


いや~、若い。客席が若い。役者が若い舞台というのはよく見るが、時折、ちょいおやじ?みたいな人もいるにはいたが観客が確実に8割は20代で占められている舞台なんて、自分が20代の時以来かもしれない(笑)。われわれツアー客5人が平均年齢を上げそうで上げきれなかったのは確実である。


舞台は、地上30cmから90cmの空間で生きているストリート系若者たち(ふるっ、この言い方?)のコミュニケーションの在り方について、といったところか?地上30cmから90cmの空間にだけDJが流す音楽が聞こえる、その音楽が聞ける者同士だけで肉体交換や空間移動を繰り返しながら、人との繋がりとはなにか?肉体とは、意識とはなにか、と問いかける。



この地上30cmから90cmの空間とは、以前よく聞いたジベタリアンの世界観なのかもしれないが、ジベタリアンそのものは10年以上前の若者文化で、最近は地面に座って溜まっている若人もなかなか見かけないような気がする。自分の出没範囲にいないだけでいるのだろうが、今現在は、溜まりもせず引きこもってネット繋がりか、逆にコアな趣味をもつメンバーと密かにあるいは公のコミュニティを作っているかのいずれかのような気もする。いずれにせよ、カウンタカルチャーが全然カウンターじゃない時代からすれば「旅がはてしない」は、今を描いているようで案外セピアな内容なのではないかとも思える。


って、今を描いているのかどうかも、実はよくわからないのだが(笑)。


彼らが生きる空間がミネストローネ、空間移動のシステムがシャフル、肉体交換を「チェンジ」と「スリープ」。ミネストローネは既知であり未知であり路である、と。そしてその空間とシステムを開発したトウゴウと管理維持している3人、ケイには「絶望と希望」、カサには「忘却と再生」、そしてキューには「問いかけと記憶」の要素が与えられているのだが、システムを創ったトウゴウ自身が度重なる肉体改造の末、他人とつながるという本来の目的から逸脱し始めコントロール不能となる。そして、システムは崩壊、消滅してしまう。



細部を理解するための全体、全体を把握するたの細部、個人を理解するためには大勢、大勢を理解するための個人、の実験は創造者の自分のためにだけ存在する大勢という図式に変化していったその先は?



私はこの話は、生まれる前の嵐のような記憶の統合整理の物語なのかとも思ったのだが、そうではないようである。終盤「絶望と希望」の要素が肉体をうしなってインプラントという意識だけの形になったとき、それを埋め込む少女が登場するのだが、その少女の役割はごちゃまぜの記憶を整理して世界に生み出していく、というオチになるのかと思いきや、はっきりいってオチがよくわからかった(笑)。海、2つの月、とか言うと、どうしてもそういうオチを想像してしまったのだが。



メーテルリンクの「青い鳥」の「未來の世界」、夢野久作の「ドグラマグラ」、会田誠の「ジューサーミキサー」、自分が感じた共通点はこれなのだが、やはりよくわからなかった、というのが正直なところか(笑)。



と、トウゴウを演じていたチョウソンハが素晴らしい。登場した瞬間のオーラが断然違う。発声、身体の微細かつ大胆な動き、存在感、どれもが抜きんでている。チョウソンハ氏、初めて知ったと思いきや、以前NHKの「七瀬ふたたび」で印象にのこるストーカー役を演じていてその際ネット検索していただろう、とはキアヌン氏の指摘。そういえばそうだった、そうだった(笑)。彼は、若手舞台人では最も注目されるひとり、とのこと。あとは、ヒカリ役の笠井里美。彼女は「声」がいい。舞台に必要なささやくようでいてもしっかりと届く声というのは、貴重なもの。



主宰の広田淳一氏は東大卒で駒場キャンパスを中心に活動していた、ということですぐに思い浮かぶのはもちろん、野田秀樹主宰の「夢の遊眠社」。今回の会場となった東京芸術劇場の総監督は、その野田さん。野田さんの横顔が大きな慣れ幕になっていた。


初めての舞台体験は、まだ野田さんが元気いっぱいで遊眠社で飛び跳ねていた頃。その時も内容そのものを理解していたとはいえないが、笑わせておいてぐいっと切ない終盤へ運ばれる感覚に夢見心地になっていたような気がする。なによりも、野田さん以外の役者も力量が拮抗していた。ひょっとこ乱舞との違いは、そんなところかな、と。きびしい??




<キュリアシティネロはこちら>

catzElysium ~ 神田の黒ちゃん


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